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「アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか」を読んで

"アーキテクチャの生態系: 情報環境はいかに設計されてきたか"という本を読みました。

2008年に書かれた本の文庫版ということで、ミクシィだとかニコニコ動画といった単語に大変懐かしい気持ちになりながら読み進めました。

 

中でも、日本を代表するWebサービスである2ちゃんねるについても詳しく分析されていました。

確かに流れの早いインターネットの中で、日本のインターネット黎明期から現在に至ってもずっと栄えている2ちゃんねるはさすがだと思います。

ミクシィであっても、Facebookであっても、いわゆるSNSと呼ばれているものの中で繰り広げられているのは、ほんの暇つぶし程度の雑談であることが多いのに、どうしてその雑談をする場所がこんなにも巡り巡って行くのか、それはひとえにソーシャルグラフの衰退化だと言われていますが、確かに2ちゃんねるには行けばいつも2ちゃんねらーになることができて、心休まる場所なのでしょう。

そんな中、最近の流行であるSNSはsnapchatだとか、instagramだとか、ミクシィ世代には得体が分からず、これまでの暇つぶしの雑談に加えて画像や動画のやり取りが発生しており、参入障壁のとても高いものばかりで、いわゆる「おじさんやオバサンが入ってきて冷めた」とはなりづらく、これはSNSという文化自体の進歩なのではないかと考えてみたりもしています。

 

ところで、Snapchatなどの青々しさに触れたときのこの気持ちは、こちらの本で取り上げられていた、"恋空"を外から眺めて笑っていたときの気持ちに似ていると気づきました。

あの頃のケータイ小説世代はおそらく現在2ちゃんねるまとめサイトに量産されている、「旦那に経済的DVされている事に気づいた主婦が離婚届を突きつけて出ていく話」や、「2ちゃんねるで知り得た方法を利用して不倫の証拠を集めていく既男の話」なんかを生産/消費しているのではないかと個人的には思っていて、ケータイ小説世代は本当に多くのコンテンツを生産/消費して、Webと言うものを大きくしていくことに一役買っているなあと思います。

ケータイ小説を読んでいたときも、まとめサイトを何も考えずに眺めている今も、このままWebに男女のもつれ話ばかりを量産してWebを太らせていくことに何ら意味はあるのか、ふと考えてしまうことがあります。

昨今話題のDeNAが運営していたキュレーションメディアたちも、既にWeb上にあるものを続々とリライトすることでWebにどんどん皮下脂肪をためていっていますが、このSEO対策がまかり通っている現状で、Googleは今後皮下脂肪の中から、本当に検索者が求めているページを上位に出すことができるのでしょうか。

できても、できなくても、誰かがもっと良い仕組みを作っていくんでしょうけれど・・

 

キュレーションメディアの話に戻ると、突如発生したキュレーションメディアに対して、それは間違った進化だとインターネット民が力を合わせて絶滅に持っていく一連の流れを見ることができたのは、とても良い瞬間に立ち会えたなと思います。

今後のWebがどちらの方向に進化していくのか、非常に興味深いです。